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1987年、僕は会社を辞めた

1987年、32歳で僕は10年勤めた会社を辞めた。
会社では広告を作る仕事をしていたが、仕事で付き合うカメラマンに憧れ
自分も思うままのクリエイティブな仕事をしたいと思っていた。
たまたま出張で行ったオーストラリアに出会い
リラックスしたライフスタイルや、豊かな自然、おおらかな国民性に憧れ、
英語の勉強を兼ねてサラリーマンを辞めてシドニーに渡った。
10週間の英語学校を終え、中古車を買って当てのない旅に出た。
車で走り回る広大な大地やどこまでも続く広い空に圧倒された。
まっすぐ続いてその先が見えない道、
野生動物がどんどん出てくる不思議な世界。
地平線、水平線
広いということはなんて気持ちがいいんだろうと痛感した。
「この景色すごいな」と思って車を降りる
思わず声が出る「わー!」
その思いを写真に封じ込める

シドニーを離れて4ヶ月ほどの旅だったが充実した日を過ごした

日本に帰ってかつての上司だった人に援助してもらい
広告やイベントの企画運営をする会社を興した
僕は社長になった
その会社の業務は、バブル時代だったこともあり順調で、収入もそれなりに良かった。
僕はオーストラリア留学時代に知り合った女性と結婚し、順風な日々だった。

あるとき自分が撮ったオーストラリア時代の写真を大規模なコンテストに応募してみた
結果入賞で入賞作を展示した東京都美術館に見に行った
金賞、銀賞、プロの展示含め300点ぐらいの展示だったが
僕には自分の作品が一番輝いているように見えた
間違ってない、確信を持った

その数ヶ月後はじめて写真展を開いた
その小さな会場で2週間毎日自分の20点ほどの作品と向かい合った
そこで思ったのは、これでいいという奇妙な自信だった
観客の反応がストレートに心に響いた
これでいい、間違ってない、前に進め

そんな思いや、バブル崩壊の不景気や様々な要因から
僕はもう一度リセットボタンを押した
自分が信じる自分の写真
それはきっと、世間に受け入れられる物だ
そう信じて、自分を信じて、もう一度
オーストラリアに渡ることにした
所有するすべてを売り払い
もう日本には帰らない、ぐらいに決意を元に
2004年再び妻とともにオーストラリアに渡った

当時は露出やシャッタースピードの設定がマニュアルで
現像してみるまでうまく写ったかは分からない
フィルム代も現像代も高くて、1カット1カットが真剣勝負だった。

大きな町に着くと、プロラボで現像し
ホコリや土がはいらないよう大きなタッパーウェアで保管した
夜ごと、テントの中で小さなライトビュアーで写真を見て
次はこう撮ろう、明日はこれを試してみよう
そんな思いをしながら、半年旅をした。

その当時一冊だけ持って旅したのが竹内敏信さんの
学研のムック「風景写真術」だった
その本を隅から隅まで何回読み返しただろう

最近若い写真家と友人になることが多いが
竹内先生の弟子がなんと多いことか
僕も2次弟子かもしれない

その一年に渡る旅を終えて、日本に帰ってきたが
当然仕事はない
埼玉の奥地の家を借りて作品をまとめることに一年ぐらい費やした
それが僕の写真詩集「夢に向かって」だ。

これはポートフォリオとしてまとめ
出版社10数社にプレゼンに行った
こたえはすべて「NO」だった
でもそれから3年後
写真展を渋谷パルコで開くことになり
写真雑誌に作品を載せてもらえた
その雑誌を見たある会社がかつてプレゼンに来た写真家だと思い出し
新しい企画に採用してくれた
それがデビュー作「雲の言葉」だった