HABU’S PHOTO GALLERY

HABU’S VOICE

シリーズ「空写真を極める」

2、なぜ空写真にはまったか

1987年オーストラリアに行きたいと思ったのは、
出張で行った時に感じた自然の豊かさ、人々のおおらかさが理由だった。
シドニーでの10週間の英語学校を終え、
ぽんこつの車を買って写真を撮るため、放浪の旅に出た。
旅を続けるうち、シドニーやメルボルン、アデレードといった都市よりも、
田舎の小さな町が好きになっていった。
最初のうちはクラシックな建物や野生動物や観光地の
ダイナミックな風景にカメラを向けていたが、
だんだんにオーストラリアの広さを撮りたいと思うようになった。
どこまでも続く緑の牧草地。金色に輝く夏枯れの草原。
人のいない美しいビーチ。真っ白い砂丘。
荒野に突然出現するピンク色の塩湖。朝もやに煙る牧場。
日本にいた時には考えられなかった風景。でも特別な場所ではなくて、普通の風景。
僕は広角レンズを使って、そんな普通の田舎の広い風景を撮り続けた。
撮影したフイルムをチエックするうちに、ある事に気づいた。
雲があるのとないのでは、写真の印象がまったく違う。
ただ広くてきれいだではなく、
雲がある写真は見ていて物語を感じる様な想像力が広がる様な気がした。
雲がある写真の方が風景が生き生きとしてくる気がした。
以来なるべく雲を、写真に取り入れるようになった。
最初の放浪から帰国した後も、僕はお金を貯めてはオーストラリアに通い続けた。
そしてある時、友人たちとグループ展をすることになった。
一人当たりの展示スペースが小さく7~8点しか飾れなかったので
思い切って空が主役の写真ばかりを集めて展示する事にした。
僕の隣は猫の絵を描いている画家だった。
ある日、小さな女の子を連れた母親が見に来て「あ、この人は猫を描いてるね」
そして僕の所へ来て「あ、この人はお空の写真を撮る人なんだね」といった。
空の写真を展示していたのだから、当たり前の事なのだが、
僕ははじめて自分が探していた写真のテーマが空だということに気がついた。
それからもオーストラリア以外の土地にも出かけるようになったが、
常に、「空、雲」を意識して撮影するようになった。
平坦で広い大地の上の空は、目を遮る物がなくとてつもなく大きい。
その大きな空を、地上に比べて大きく写し込む事で横位置で撮れば広さ、
縦位置で撮れば高さを表現できるという事を知った。
子供の頃に友達と「あの雲は○○みたい」といって遊んだ事を思い出し、
面白い形の雲を見つけたら、望遠レンズで空の一角から切り出す。
広い空のどこかには、何かに見える雲がたくさんあった。
空は誰の上にでもある手つかずの大自然。
東京にいても、広い河原やビルの屋上などに出れば空の写真を撮ることができる。
雲の形や状態のパターンは無限にあり、光のあたり方でも様々に変化する。
朝日や夕陽を浴びた姿は時として神々しいまでに美しい。
20年ほど前まで空の写真は作品としてはなかなか認めてもらえなかったらしい。
技術よりも、自然の偶然によって撮れたと思われがちだったからだろう。
だから僕がデビューした頃には、図鑑的な空の写真を撮る人はいても
作品としての空を撮る写真家はいなかった。
だから僕は空の写真の魅力を伝え続けてきた。
最近はカメラでもスマホでも「空写真」を楽しむ人がとても多くなった。
ネット上にも「空写真」はあふれている。
実に嬉しい事だと思う。